基本的に他人のことに揺さぶられない私が、一週間ほど精神面の体調を崩すことが去年あった。

「ある人が、頑張って既存のデッキに新しい発想のカードを加えた」

「そのデッキでコンペリーグ5-0した」

「しかし、その人の友人は、そのカードをその人発のものではなく、別の人(動画投稿者・そのカードは使っていない)が使っていたカードだと思った」

「(以前から間違われていたことがたびたびあったらしい)その人が怒りに飲み込まれてしまった」

「最後の言動だけが切り取られて拡散してしまった」


軽く説明するとこんな感じの話だった。

正直に言えば、怒りに飲み込まれてしまった時点で、その人が誤解されてしまうことは決まっていたのだと思う。
実際、投稿者関係のTL上でも否定的な反応が多かった。

そりゃそうだ。友人がいきなり怒りのままけなされたら、誰だっていい気分にはならない。正論で殴りたくもなる。

でもね。

それと同時に、否定的な意見があふれるTLに対して、こうも思っていたのだ。

「あなた、○○の人って言ってもらえる側じゃん」



私自身は、動画投稿者である前に(クソ)ローグデッカーだと思っている。
偶然動画を投稿していたから「クラガンの人」と呼ばれているのだ。

ではここで、仮定の話をしよう。

「もし私が動画を投稿しておらず」
「運よくモダンチャレンジを優勝したけど」
「クラガン使った動画を別の人が上げていて」
「その人のデッキだと、大会で当たる人全員に言われているのだとしたら」

私は、その人に対してどんな感情を抱くのだろうか。

正直に言おう。動画の質に寄るが、怒りの感情を抱くことが無いとは言い切れない。

という結論は、モダチャレ優勝クラガンのコピーリスト回してる動画を1つ見たあと、もう見ない方が精神衛生上よさそうだと悟ってニコニコと金魚以外の他者が回すクラガン動画を見ないことにした過去と無関係ではない。
ニコニコと金魚のクラガン動画は面白い。でも、他の動画はなかなか気持ちよく見ることができなかった。

同じリストだからこそ、「違う」と思うことが多すぎたのだ。

断っておくと、冒頭の案件の投稿者さんのプレイングはうまいと思う。
もちろん、それは「そのデッキのユーザーではない」私目線での話だけど。

話を戻す。

もし仮に、私の作ったデッキが、「○○さんのデッキですよね!」と言われ続けてしまうのだとしたら。

「私が頑張って作ったデッキなのに。でもこのデッキは、私のデッキでは無いのか」

そんな思いを抱かないと、言い切れる自信はちょっとない。

ローグデッキを使って勝ちたいと思っている人には、少なからずそんな偏屈さがある。

このデッキを使っているのは自分だけだ。
だから、自分で調整して、嫁カードを押し上げたい。
このデッキを一番よくわかっているのは自分だ。
端的に言えば、「何者かになりたい」

そういった感情はブルースティール動画で既存ユーザーと思われるコメントの中に、確実に混じっていたように感じる。

今思えば、私の動画スタンスは、そういった感情と相性が良かった。

私は、「既存ユーザーの感性と喧嘩してでも自分の信念を簡単に曲げるつもりなどなかった」上で、カジュアルに勝利を求める動画投稿者だった。

結局のところ、ローグデッキでリーグを周回するのだから「勝てるか負けるか」が一番大事だと思って動画を作ってたのだ。論破したいと思わなったとは言わない。ただ「論破されるならそれはそれで本望」ってやつだ。ある意味でむき出しの殺意が、私の動画の中にはあったはずだ。

もちろん、できる限り公平でありたいとも思っていたけど。公平であることが客観視点で果たしてできているのか怪しかったから、余計私のメンタルを揺さぶったともいえるけど。

案件に不幸にも巻き込まれた投稿者の方は、マジックが上手かった。動画も面白い。でも、辺境クソローグデッカーではなかった。もっと善性の強い、人間の鑑だった。

だからこそ、彼は爆発してしまったのだろうと、TLを見ながら私は暗澹たる気分になっていった。

戦って負けるのは、まだ気楽なのだ。戦う場すらない、勝っても名前すら憶えてもらえない(もちろん投稿者の方は悪くない。悪いのは私みたいな戦いたい辺境ローグデッカーの方だ)俺達は、どうすればいい?

「俺達?」

私は投稿者の側だ。
クラガンに関しては、まあ「クラガンの人」ぐらい言われても罰は当たらないだろと自惚れてはいるけど。

「果たして、ブルースティールの人、と呼ばれるに足る何かを、私は今までできていたのか?」

呼ばれてないから安心しろ? 少なくともクラガン調整前の私は(符丁として)そう呼ばれうる存在だったという事実は変わりない。

動画投稿というのは、本人が思っているより強い発言権を得やすい。
私は、ブルースティール動画でそれを理解していたつもりだった。
その上で、出来る限り自分の言葉で意見を拾っていったつもりだった。

それが、ただの思い上がりだとしたら?

彼の怒りは、私にとってすぐ隣にあるはずの怒りだった。
でも、今の私にとってそれは、悲しいぐらい無縁のモノなのだ。
そんな背景が理解されず、伝言ゲームで切り取られた発言だけが広がっていく(まあ、切り取られる側に十分すぎる落ち度があったんだけど)。今でも思い出せば涙が出てくる。


私は、本当に無力だった。
当人の痛みがまるで私のことのように感じられるのに、どんな言葉も掛けようがない。
それでも、私はメッセージを送った。
文面こそその人を心配してるようなものだったけど。
自分が楽になりたいから送ったことは、自分が一番よくわかっていた。ブロックされても構わない。むしろその方が、許されたような気持ちになりそうだ。そう思いつつ。

1日考えて、その人は、謝罪することにしたらしい。今度は謝罪文を見ることになった。

辺境ローグデッカーの端くれとして、そのひとの呟きを追っていたものとして。あの感情の発露の根底が長年の蓄積だと痛いほどわかっていた。
それを私の自分可愛さのあまり、無理やり曲げさせてしまったのではないか。
結局、そんな苦味だけが残った。



これは、吐き出したい感情の話だった。
私にとって正解はなく、あるのはただ間違いばかりだった。
身を守ってくれるはずの正論に意味なんて、これっぽっちもなかったのだ。

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